先週、首都圏を襲った爆弾低気圧による風雪の影響は予想以上のものでした。

横浜の積雪が13cmだったと聞き驚きました。都内でも10cm近い積雪だったようで

成人式に行かれた新成人、特に着物の女性に取っては、慣れない草履で慣れ

ない雪道を歩き、さぞや大変だったと思います。

image

 

でも着物を着ていた時代の人たちは、雨の日も雪の日もこんな恰好で道を歩いていた

んだと思うと、大変だったんだろうなぁと思ってしまったのです。

当時、冷え性の人はどうしてたんだろうと余計な心配までしてしまいました。

幕末や明治初期の写真が好きなボクは、その手の写真が載っている本を買うのですが、

ものの見事に着物です。幕末くらいになるとブーツを履いている人もちらほらいますが、

全体の9割は着物だったと思います。

 

着物に限らず今の我々の生活から考えると、そうとう不便だったのではないかと思う

反面、今よりも豊かな生活があったのではないかと思いを馳せるのです。

江戸時代、一晩の酒代くらいはその辺で顔に炭を塗り大道芸をすれば稼げたそうです。

なんと大らかなんでしょう。火事があると基本的な消し方は『家を壊す』ですから、

大工さんの仕事も常にあったようです。そして驚いた事に江戸のまちには、ゴミが

ほとんどなかったようです。なぜなら超リサイクル社会だったからです。

紙などのゴミはほぼ再生され、壊れた物は基本的に修理し、排せつ物は肥料に、

循環型社会のお手本のような社会です。

 

では、住みたいかと言われると2、3日なら行ってみたいが…、暮らす自信はありません。

江戸時代まで振り返らなくても、今から30年くらい前だって今とはずいぶん違う光景が

ありました。先ず携帯電話がないので、待ち合わせの時に役に立ったのが、改札口の前に

必ずあった『伝言板』です。JRでも地下鉄でもほとんどの駅にありました。

ようするに黒板がありチョークで伝言を書くのです。

「○○へ 先に行ってる。△△より」という風に書く訳です。

たまに面白い事を書いている人もいました。そんな時はキラっと光るセンスを感じたものです。

ボクがたまに使った手口は「○○へ 待ち合わせ場所を教える。右を見て、左を見て、

天井を見ろ」と書き、次の行で「駅前でキョロキョロするな」と書くのです。

何人かは引っかかっていました。

小学生の頃、音楽などはベストテンを見ながらTVから直接録音するのです。

この直接と言うのがミソです。ラジカセをTVの前に置き、家族にはしゃべらないでくれと

お願いし、はじめて録音が成立するのです。そうすると、時として父親が帰って来たり

して「ただいまぁ~」という余計な声が入り、ペッパー警部の録音が台無しになるのです。

 

そう考えると、不便だということは少し楽しいことなのかも知れません。

現役を引退したら、携帯電話なんて捨て、連絡の手段はハガキか電報というような

生活をしてみたいと思った今日この頃です。