2月14日のバレンタインも無事に過ぎました。
今年もまたハートブレイクの少年たちが量産されたことでしょう。
ハートブレイクは恋が成就しなかった女の子だと勘違いなんかしてはいけません。
バレンタインの本筋は、女の子が意中の男の子に手作りのチョコを渡して愛を告白をする、
ということになっていますが、それはごくごく限られたエリート層男子への話しで、世間一般の
多くの男子は、自分に恋のチャンスが訪れるかどうかを気にしながらその日を迎える
訳です。これが男子校であれば、チョコなんて無くて当たり前という空気が支配してい
ますのであまり心配はないですが、共学ともなれば話は別です。

 

共学のことを自給自足と言った人がいますが、まさにその通りです。
共学であれば、そこに男女がいる訳で、恋が生まれる環境が整っている訳で、
実際に付き合っている生徒がそこそこいる訳で…、
そんな環境で彼女がいない男子は、負け組扱いされて肩身が狭いものです。
その負け組が一気に名誉挽回できる絶好の機会がバレンタインなのです。
バレンタイ以外の時に告白されて付き合うのも、それはそれでありですが、
バレンタインで告白されて付き合うのとは全然価値が違います。そのタイミングで
チョコをもらってお付き合いするなんて、『付き合う』の最上級です。
今まで傷を舐め合っていた友人が、もはや霞んで見えてきます。

誰がどう考えても、そんなタイミングで告白なんてそうそうされません。
多くの男子は2月13日の夜、ベッドに横になって眠りに就く時、なるべく翌日の
ことは考えないようにしているのです。どうせ誰もオレに告白する子なんていないよな、
彼女なんていたら逆に面倒くさいし、逆に居ない方が楽だし…、逆に邪魔だし、
もはや『逆』の意味さえ自分自身で分からなくなっている精神状態です。
そうやって、もらえないことを正当化して自分に言い聞かせることで、ニュートラルを
保つしかないのです。でも学校に行き、絶対に自分にそんなことはないと思いつつ、
誰にもドキドキを悟られないように下駄箱を開けてみたり、そっと机の奥の方を探して
みたり…、
残念ながら、その1%以下の可能性を下校時に校門を出るまで、心のどこかに持ちつつ、
否定しつつ、という禅問答ような葛藤を、いたいけな少年たちはしているのです。
突き抜けた輩になると、下校途中に恥ずかしがり屋のレディが電柱の陰に隠れているかも、
そして自宅近くで待ち伏せしてるかも、もしかすると告白する勇気がなくてポストに
手紙を添えて帰ってしまっているかも、
それは妄想に妄想を重ね、取り返しが付かない領域に踏み込んでしまった悲しい末路です。
そして玄関を開け家に入り、リビングのソファーに座ったとたん、空虚感と疲労感に
襲われてしまうのです。

まだバレンタインの苦難は続きます。最大の難関は夕食時です。
デリカシーの無い父親、場合によっては母親が、絶対に触れてはいけない、チョコゲットの
話題を振ってくるのです。「お前今日チョコもらったのか?」
これ決して軽い気持ちで訊いたらいけないことです。でも父親は同性なので、うっとしいと
思いながらもなんとなくかわせます。一番ダメなのは母親から「アンタ、今日どうっだったの?」
当然「どう?って何だよ!」と答えます。「だから…、チョコよ」
これ完全にアウトな質問です。一瞬でも親子の縁を切りたくなる衝動に駆られます。
「はぁっ?、チョコ?オレ関係ねぇし、甘いもの好きじゃねぇし…、」
これ少年の満点に近い模範解答です。
それでも追い打ちを掛けるような試練がまだ待っています。
夕食が終わった後で、「はい、これお母さんから…」

少年の心はズタズタです。
「こんなもん、いらねぇよ!」と言って、床に叩きつけたい衝動を必死で押さえ、照れと、
恥ずかしさと、悔しさが入り交じり、もはや何かを声にすることも出来ない状態です。
ゆるゆるの握力で親からもらったチョコを持って自室に戻り、ベッドに横になり、天井を見て、
こんな日は世の中から無くなってしまえ!と心の中で叫びながら
世の中が理不尽だということを少年は学んでいくのです。

それがバレンタインという日なのです。