以前、書いていた20歳の頃に学校の研修と言う名の旅行で、

NYに行った時の珍道中の続きです。

久々に復活させたいと思います。

第一弾は友人S君がイミグレでやってしまった事件

NY イミグレ事件簿

 

第二弾はバカ軍団がホテルに突入した事件

バカ軍団 決死のホテル突入

 

そして本日が第三弾となります。

 

向こうで行われたカリキュラムは、午前中は9時から授業があり、現地で採用された講師(アメリカ人)

が、寮にあるメインルームで、講義をします。もちろん英語での講義ですが、100%分かった人は

高校時代LAに住んでいたK田君くらいです。

午後は日によって異なりますが、グループアクティビティと称する少人数の班単位でマンハッタン

に行き、文章で指示をされた課題をこなすという遊びのようなプログラムでした。

班は5名くらいの人数から成っていて、班長をリーダーとして課題に取り組む訳です。

ボクはこういう時、リーダーになりませんし、なれません。

何故なら、当時ボクはかなり自分勝手で雑な人間でしたし、上に立つような人間ではないと、

自他ともに認められていました。そこで班長に選出されたのが名古屋出身のF君です。

彼は地域性なのか性格なのか、ちょっとカッコを付けるところがあるのですが、真面目でひた向き

な性格の持ち主なので、班長としてはナイスな人選だったと今でも思っています。

 

実際、班での行動はどんなものだったかというと、その詳細な記憶の多くは、加齢と共に吹き飛んで

しまい、ほどんど覚えていません。覚えているのは、マンハッタンにあるブルーノートに行って写真を

撮って来る指示があり、通行人に「Where is Bule Note?」と尋ねたら、ほぼシカトされNYは冷たい

街だと思った事くらいです。シカトされた原因の大半は、発音がよっぽど悪かったんだと思います。

 

で、F君ですが、そんなNYの冷ややかな人間たちに負けることもなく、グイグイみんなを引っ張って

くれていました。ある日の昼食時に、NYでぼちぼち有名なサンドウィッチ屋さんに行くことになりました。

店に入ってメニューを見ると、どうやらローストビーフサンドウェイッチが有名だと分かり、友人のほとんどが

それを頼むことになりました。店員が来て「ご注文は?」と訊きました。

先ずはリーダーからです。「ロースト・ビーフ・サンドウィッチ・プリーズ」

ネイティブの発音にはほど遠いにしろ、リーダーの英語はどうにか通じました。

すると店員が「What kind of bread?」と訊いてきたのです。

ここはリーダー、かっこよっく決める場面です。リーダーどぉ~ぞぉ~

 

 

 

リーダー :「ミディアム」

友人一同:「・・・・・」

店 員:「・・・・・・・・・・・・・・」

店 員:苦笑いのあとに 「オ~ケェ~」

リーダー :「・・・・・、 サ、サンキュー」

 

 

 

ちょっと文字では分かり難いと思いますが、ほぼ沈黙の時間です。

店員はパンの種類を訊いているのに、リーダーはなぜか焼き加減を伝えたのです。

しかもロースト・ビーフのです。

ボクはロースト・ビーフの焼き加減を言った人を、見たことも聞いたこともありません。

仮にウェルダーンと言ったら、それはもうロースト・ビーフではないのです。

しかし名古屋出身で自尊心の高いF君を責めることなんて誰もできません。

 

そして事件はまだあります。

入管でまさかの「佐々木信也」と叫んだ、S君があろうことか、急性腸炎になり救急車を呼ぶ事態が

発生しました。彼はボクと同室だったのですが、その時は体調不良のS君を部屋に残し、リビングで

仲間と談笑していたのでした。そうすると他の友人がリビングに駆け込んできて「Sの様子がおかしい!」と

言ったのです。慌てて部屋に戻ると、彼は痛みに顔を歪めほとんど会話が出来ない状態でした。

寮母的な存在のNY在住で日系アメリカ人のMs.リッツ(彼女は日中だけ寮にいて夜は自宅に戻る)に

連絡をしたら911にコールするから、救急隊が来たらとにかく彼を救急車に乗せなさいとの指示。

間もなく救急車が寮に到着して、プロレスラーより体格のいいおばちゃん2名が、ストレッチャーを持って寮

に入って来て「急病人はどこ?」みたいな英語で畳み掛けてきました。

友人Sを早く病院に連れて行ってあげたい、しかしこの状況でプロレスラーおばちゃんと英語で話す勇気は

ない。多くの仲間がそんな複雑な心境だったと思います。こっちがもたもたしていると、彼女たちはS君の部屋

(同時にそこはボクの部屋)に着くや否や、S君を軽々とストレッチャーに乗せ、彼に病状を訊くのですが、彼は

会話が出来る状態ではなく「あ~う~、いたいぃ~、う~」と一方通行の独り言が口から出るだけです。おまけ

によだれも出ていたので、ボクにはかなりのレベルのジャンキーに見えました。

状況が把握できない救急隊員は、イライラしてきたのか大きな声でなんやかんや言い出したのです。

恐らく「誰か彼の事を説明できる人はいないのか?」というような事を言ったんだと思います。

 

回りの友人たちは、お前が説明しろよ、オレは無理だよ、みたいな感じで譲り合っていて一向に話しが前に進み

ません。そんな時、誰かが「Fは班長なんだからお前がちゃんとしないとダメだろう!」と言い出したのです。

回りにいた友人全員が、そんな無茶ぶりはないだろうと思いながらも「そうだ、そうだ、お前は班長だ」と言い出し、

F君は矢面に立たされたのです。F君には人一倍の正義感と責任感があります。さすが班長です。名古屋です。

一歩前に出たF君に、プロレスラーおばちゃんの1人が間髪入れずに「What kind of pain?」と訊いてきました。

数秒の沈黙の後にF君が口を開きこう言いました「ワン ナワー」

 

そのとたん、プロレスラーおばちゃんは外人特有の、肩をすくめて首をゆっくり横に振りだしたのです。

「どんな痛みなの?」の質問に「1時間」の珍解答。

会話はキャッチボールが基本ですが、F君は投げっ放しのドッチボールになっていました。

それ以降、F君に質問されることはなかったのです。結局、誰かが痛みはシャープだとか1時間前から

様子がおかしくなった等の情報を伝えて、S君はサイレントともに夜の住宅街に消えていったのです。

 

残された我々は、肩を落とし自信を無くしている班長F君に「お前はよくやった。あの時、一歩前に出た勇気は

素晴らしい。あの状況でワン ナワーとはよく言った。しかもワン アワーじゃなくワン ナワーなんて…、」

と寄ってたかって褒め称えたのです。彼が自信を取り戻したかどうかは知りませんが、みんなF君が班長で良かった

と思ったのでした。もし自分があの状況に立たされたらと思うと、ゾッとしたのでした。

 

その後S君は2週間近く入院しました。どうやら彼は強い痛み止めを外人サイズで打たれたようで、

戻ってきた時に少しラリパッパになっていました。