あと2日で10月に突入です。
ようやく朝夕が涼しくなったかと思ったら、W台風の到来です。
異常気象なのか神様の気まぐれなのか分かりませんが、平民としてもカート場の
経営者としても穏やかな天気を期待したいものです。

毎年の事ですが、8月末から業界の仕事でバタバタします。ようするに来年の規則などを
策定する作業が増えてくるからなのですが、それにプラスして各支部回りというのがあります。
以前は全国6ブロック(現在は7ブロック)を1泊2日で3回行くという全国行脚があり
ました。今年は北海道と九州の2カ所だったので、以前よりはマシなのですが、それでも
そこそこの体力は必要です。

移動は飛行機、新幹線が主な交通手段ですから、車の運転と違い、イスに座っているだけと言えば
座っているだけなのですが、それでも移動が多いと多少の疲れを感じます。
今までで最長の移動は、二十歳の頃にニューヨークに行ったのですが、その時のフライトが13時間でした。
半日以上、飛行機に乗っていたのですが、全然疲れなかったのを記憶しています。料理が何回運ばれて来たのか覚えていませんが、常に「ビーフ!」と叫んでいたことだけは明確に覚えています。
隣の席にいた友人は、「ワン モア ビーフ プリーズ」という荒業を使い、もう1セットもらっていました。
そいつは当時、歌舞伎町でホストのバイトをしていたので、とにかく押しが強いヤツでした。
NY渡航の目的は一応、学校の海外研修的な要素だったのですが、当時のボクたちに研修という
概念はございません。渡航前のオリエンテーションでは、研修の目的、行動規範、寮でのルール等かなりのレクチャーを受けましたが、有志一同が集まり機内で相談した結果、今回の目的は『自由の国アメリカで自由を満喫するツアー』と改名しました。3週間の旅程でいかに自由を満喫するかだけを考えて、初海外のNYに行った訳です。

事件は直ぐに起こりました。最初の難関はイミグレーション(入管)です。

友人の1人は、英語がからっきしダメというより、英語アレルギーと英語恐怖症があいまって、英語を話そうとすると様子がおかしくなるので、「先ずは平常心を保つことに留意せよ!」という指示からスタートしました。旅のしおり的な冊子に、イミグレの問答が書いてあったのですが、ようするに一般的なやりとりが書かれていました。

係官「What’s your purpose?」(目的は何ですか?)

本人「Sightseeing」(観光です)

一番ベーシックなやり取りです。

この儀式が彼の膨らむ妄想の中で無限に続く悪夢だったようです。到着の2時間くらい前からソワソワしはじめた彼が、勝手に提案をしてきました。「ゲートに立ったら、サイトシーイングを緊張して思い出せないかもしれないから、斉藤信也で覚えるわ」

一応、彼に「はっきりと、サイトウシンヤって言ったら100%通じないから、サァーイシーンャくらいにしておいた方がいいぞ」と今となっては、バカがバカに余計なアドバイスをしていたとしか思えない、アホなやり取りをしていました。実はその前に発音的には「サイトシーイングではなく、サァイ シーン」くらいで言わないと通じないかも、というアドバイスをしていたんですが、それが彼の不安を倍増させたようです。

両国生まれ両国育ちの彼は、『しゃらくせー』的な感情を持っている彼独自の世界観があったのですが、いざ鬼畜米英を前にすると、江戸っ子下町というアイデンティティーが、やんちゃというフィルターを通して、おかしな変化を遂げてしまったのです。

空港に着き、いよいよ問題のイミグレです。彼は緊張でパンパンです。目は完全に逝ってます。
ボクが先に行くか、後から行くかでひと悶着あった結果、いよいよダメだと思ったらボクが助けに行くことができる、という理由で彼が先にイミグレを通過することになったのです。それなりの長い列だったので、彼は何度も「サイトウシンヤ、サイトウシンヤ」と呪文のようにつぶやいていました。最後の方は、あまりにもはっきりと「斉藤信也」と言っているので、かなり不安になりましたが、ここにきて余計なアドバイスをしたら、彼は錯乱状態になると思い、「よしっ、その調子!それで大丈夫!」と大きく励ましたのでした。

いよいよ彼の順番です。後ろに立っているボクを見て、引きつった笑顔で「大丈夫だよ。斉藤信也だよね」と不安だらけの一言を残して、イミグレのカウンターに向かったのです。
経験がある方はご存知だと思いますが、イミグレーションの申請カウンターの2mくらい手前に線が引いてあり、1人ずつしか入ってはいけいのです。うるさい国では、ちょと後ろから話しかけても係官から注意をされるところもあります。
ボクも初の海外ですから、冊子に書いてあった『必ず1人ずつ進むこと』を守るつもりでしたし、注釈に書かれていた。『係官の指示に従わないと、別室の取り調べ室に連行れることもある』という方が気になっていたので、彼がどんな状況になっても厳密には助けに行けないんだと考えていました。だから「後ろにいるから何かあれば助けに行くよ」というのは、明らかにウソでした。

パスポートを握りしめ、カウンターに進んだ友人。後ろから彼の表情はうかがえません。でも間違いなく緊張している様子です。

ほんの少し係官の顔が見えた時、不安がよぎりました。「ヤバい通じてない」通じてないとなると、係官は別の英語で話しかけてくるはずですから、彼は余計パニックになるはずです。
予想は的中でした。彼が後ろを振り返り、泣きそうな顔で一言いったのです。

「ね~、佐々木信也って誰だっけ?」

『はぁ?』

『誰って?』

俺も知らね~よ!誰だよ佐々木信也って!

彼は緊張が最高潮に達し、完全にメーターが振り切れ、とっさに頭に出てきたのが、プロ野球ニュースの司会だった佐々木信也だったそうです。

仮に斉藤信也でも結果は一緒だったと思いますが、佐々木信也で通じる訳がありません。

結果的には後ろから大きな声で「サィッ シーンって言え!」と言い、事なきを得たのでした。

ちなみに彼は卒業後、単身オーストラリアに行き英語を身に着け、ある雑誌の編集長になり、取材で40ヶ国近くを行くことになるのです。

人生とは、分からないものです。

次回、「バカ軍団ナンパ隊、決死のホテル突入」の巻をお届けします。