結婚して26年が経ちました。ご存知の方も多いと思いますが、僕は夏苅家に婿養子という立場で来たわけです。ここで様々な経験をさせてもいました。この経験を少し書き残しておこうかと思い、折を見てブログに書いてみることにします。
 僕は嫁の立場を男として体験している身から、世のお嫁さんがどんな思いで義父母に接しているのか、この20数年で少しだけ理解してきました。逆に言うと、嫁という立場はご主人が考えているより、はるかに微妙な立場でバランスを保ちながら立ち振る舞いをしていることが判明しました。義父母との接し方、義兄弟姉妹親戚との距離感、まさかの同居事件、冠婚葬祭などなど、様々なハードルを越えてお嫁さんは日夜ご努力をされていることを、ほんの少しでもご理解して頂き、家庭円満の一助にしてもらえればと思い筆を取った次第です。

奥様の心の葛藤を貴方は理解していますか?
奥様の心の叫びが耳に届いていますか?

ほぼ聞こえていないことでしょう。

もし聞こえていたら行動が変わってくるものです。結婚して帰省した際に、奥様がどんな気持ち行動をされているか理解できたら、あんな行動言動はしていないですよね。

そうです。貴方は全く理解していないのです。
それは当然です。だって婿にいったことがないんですから、嫁の立場が分かる訳がありません。

では先ず、結婚に至るまでのお話からすることにします。

なんとなく僕の略歴を言いますと、中学まで地元広島の呉というところに居ました。高校から東京に来たのですが、それは単身赴任で父が東京に来ていたからです。広島の片田舎より東京の方が楽しそうだという、およそ15歳くらいの子どもが2秒で思いつきそうな考えに基づいた行動です。20歳前後の半年だけ地元の呉に戻り、平成元年4月からはカート場に来るまでは東京にいることになりす。妻とは学生時代に知り合いました。その頃から友人たちと妻の家に遊びに行っていたので、親父さんやお袋さんとも面識はありました。妻は1人っ子の1人娘だったので、男の子が来ると親父さんは喜んでくれ、ことあるごとに「メシ食って行け!」と言って夕食をご馳走になりました。当時、妻とは仲のいい友達でしたが、実際に付き合うようになったのは26歳くらいの時だったと思います。

時は過ぎること平成7年(1995年)のGWの頃です。

妻の実家に遊びに行ったら親父さんから「うちの娘と付き合っていることは知っているが、君はうちの娘と結婚する気はあるのか?」と唐突に訊いてきました。目つきはいつもより少し鋭く、決して冗談や世間話で言っていないことは直ぐに理解しました。僕はゆくゆくは結婚することになるだろうなぁ、と漠然とは考えていましたが、具体的にいつということは決めていませんでしたし、妻と2人でそういう話もしていませんでした。その話をされる前に妻から「多分お父さんから、結婚の話を訊かれると思うよ」とは聞いていたものの、結構な圧で言われたので、少し躊躇したのを覚えています。場所は自宅1階にある事務所です。親父さんとお袋さん、そして妻と僕の4人でいた時、唐突に先ほどの質問を親父さんがしてきました。

 「ゆくゆくは結婚を考えていますが、30迄は今の仕事をしていたいんですが…」

 その時、僕は都内で3人で立ち上げた会社にいました。社長と専務と僕の3人で立ち上げた会社です。当時お金が無かったので「出資金が出せない代わりに体を出す」と言ってほぼ無給で半年くらい働いていました。その会社は1年を待たず軌道に乗り、雑居ビルとはいえ渋谷と原宿の間の明治通り沿いという1等地に事務所を構えることができました。ノーアポでメインバンクの支店長が融資の話しに来たり、超有名商社と契約ができたりと、かなり順調に業績を伸ばしていった時期だったので、もう少し今の会社で色々やりたいという思いから、そのような回答に至ったのですが、僕の回答を聞くやいなや「それは君の都合だろ、うちにはうちの都合があるんだよ。娘もいい歳だ。周りからいい人がいるから紹介したいという話もあるんだよ、今この場で結婚するかしないか決めてもらわないと困るんだよ!」もう無茶苦茶です。昔から親父さんはそうなんですが、人のことはお構いなしで自分の言いたいことだけを言うところがあります。しかもその後に「知ってる通り、うちは1人娘だから婿養子に来てもらわないと困るんだよ!」と間髪いれずにダメ押しの一打をフルスイングで付け加えてきました。

 僕の母親は明治女みたいな人だったので、婿養子は嫌がっていました。広島の地域性もあるのかも知れませんが「糠一合あったら婿に出すな」という言葉があったようで、相当な貧困家庭が婿に出すような風潮があったようです。だから「夏苅家の事情は理解しているから、1週間でいいからお嫁さんにもらってそこから向こうに行けばいい」というようなことを言っていました。親父さんに回りくどくそのことを伝えたら親父さんから「なんでもいいから1回結婚したらいいんだよ!離婚はその後でもできんだから!」と意味不明な決めゼリフを言われました。

GW中だったこともあり、親父さんが財布から5~6万を取り出して「これ渡すから今から実家に行ってお母さんと相談して来たらいい」と言って無理やりお金を手渡されたのです。とても拒否する雰囲気ではなく、僕はただ「あ、はい」を連発するしかありませんでした。ただ『離婚はその後でもできんだから!』の一言は、妻もお袋さんも疑問が残ったようで。しばしポカーンとしていました。そして僕はその言葉が頭で何度もループしていました。離婚のオプション付きの結婚ってどんな結婚なんだろう?しかもそれを新婦のお父さんが口にするって…、

 この人の考えは常人には理解できないし、理解しようとするることも危険な行為だと思ったのです。

〈続く〉